手描き友禅 腰原きもの工房

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友禅の由来

「友禅染め」を考案したのは宮崎友禅斎という人物です。

宮崎友禅斎は出生地・没地など諸説あり、

生涯を通して謎の多い人物です。

京都の知恩院門前に居を構えていた扇絵師で、

僧形の人物だったとされています。

文献で初めて友禅斎の名が登場するのは

井原西鶴の「好色一代男」1682年(天和2年)です。

この中で友禅斎は京都で評判の扇絵師として登場しており、

伊達男の間では「友禅扇子を持たない人はお洒落ではない。」

という内容の記述があります。

この友禅斎の人気にあやかって、

ある呉服屋が小袖の図案を依頼したことが

友禅染めの始まりと言われています。

友禅が発祥した時代背景として、

当時、幕府からは奢侈禁止令(しゃしきんしれい)という

庶民の贅沢を制限する禁令が出されていました。

特に着物では、金銀の刺繍や絞り染めの「総鹿の子」など、

贅沢な着物が禁止されました。

この禁令をかいくぐる形で考案されたのが友禅染です。

友禅染は防染糊を使用するのみで

色鮮やかな着物を作ることが出来たので、

幕府の禁令をかいくぐることができたのです。

友禅斎が描いた小袖の模様は、いかにも扇絵師らしい

四季の草花、梅や竹の丸紋模様です。

友禅斎の図案で染めた着物は絵の様に華やかだったので

美しいものに飢えていた庶民の間では大流行し、

いつしか、「友禅染め」と呼ばれるようになりました。

友禅染めが広まった背景には

「雛形本(ひながたほん)」と呼ばれる物があります。

「雛形本」は現代でいうところの、

言わば「スタイルブック」の様なものです。

広げた着物の形の中に図案が書き込んであったり、

生地の種類や地色など細かに記してあります。

「雛形本」は「友禅染め」よりも以前からありましたが、

1692年(元禄5年)に友禅斎の雛形本が刊行され、

友禅染めの模様、技術が広がりました。

この他、友禅斎について解っている事実はありません。

大正時代には金沢・東山の龍国寺で

友禅斎のものとされる墓碑と文献が発見され、

これは、加賀藩から庇護を受けて

京都から移り住んだ証拠だとも言われています。

ただし、この件に関しても諸説あるようで、

真相は謎のままとされています。

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京友禅について

京友禅は宮崎友禅斎の影響を強く受けている友禅です。

一言で言えば「雅」という言葉がふさわしい友禅です。

色彩は朱・緑・水浅葱・紅・薄青・桃色など明るく華やかで、

御所車、花熨斗などの古典柄や幾何模様などを題材にします。

刺繍や金箔などをあしらえに用い、絢爛豪華な友禅です。

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加賀友禅について

加賀友禅は宮崎友禅斎が京から加賀へ移り住み、

加賀藩の庇護を受けたことが始まりと言われています。

また、一説では加賀友禅の原型は15世紀あたりに加賀にあった

独特の染色技法、「梅染め」であるとも言われています。

この加賀のお国染めと友禅斎が広めた技法が合わさり、

加賀友禅が確立されたと考えられています。

加賀五彩と呼ばれる(紅、黄土、緑、藍、紫)を基調色とし、

京友禅に対して、草・花・鳥などの

自然を題材とした絵画調の着物です。

特に「虫食い葉」などの柄が代表的です。

染めの技法のみを用いる事が特徴とも言える友禅で、

基本的には金箔や刺繍などのあしらえは用いません。

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江戸友禅と東京友禅について

江戸で発展した友禅を江戸友禅といい、

その伝統を受け継ぐ友禅を東京友禅と言います。

「江戸友禅」の始まりは江戸時代中期です。

江戸には関西方面から下ってきた「くだりもの」が集りました。

友禅もこの「くだりもの」の一つとして江戸に伝わりました。

大名が参勤交代で江戸にやって来ていた際、

それに伴ってお抱えの染師が京から江戸に移り住む様になり、

江戸にも友禅染めが広まりました。

一説では五代将軍綱吉の母、桂昌院に呼ばれた京の友禅職人が

江戸友禅を考案したとも言われています。

江戸の友禅職人達は友禅染めに必要な、豊富な水資源を求め

隅田川や神田川の河川流域に住んでいたと言われています。

江戸友禅と京友禅との大きな違いは、

生活感覚や美意識によるものと言えます。

御所解き文様を好む京友禅に対して江戸友禅は

「磯の松」や「釣り船」、「綱干し」、「千鳥」などの

風景模様が好まれました。

また、江戸城内の奥女中たちには

「御殿風」と言われる武家好みの柄が流行しました。

江戸は武家中心の文化だった為、

柄や色合いは落ち着いた雰囲気のものが根付きました。

江戸友禅という名称がいつ頃から東京友禅に変わったか?

という線引きは明確ではありません。

現代でも昔ながらの作風で

糸目描きとわずかな色数だけで描かれたものや、

落ち着いた雰囲気のものであれば、

昔風に江戸友禅と言う場合もあります。

また、戦後からしばらくの間は

この様な江戸友禅らしい着物や帯は数多くありましたが

東京友禅と呼ばれるようになり、

都会的な自由な作風が多く見られるようになっています。

現代の生活感覚や流行にあわせて表現する東京友禅は、

奢侈禁止令をかいくぐるために生まれた友禅の

柔軟な発想を受け継いでいるとも言えます。

東京友禅では京友禅、加賀友禅の技法や柄行きなどを

分け隔てなく制作する事も特徴の一つであり

個性的な創作性の高い友禅でもあります。

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分業制の友禅と工房完結型の友禅

友禅は元来、職人集団による分業制です。

注文主の意向に合わせて着物や帯の図柄や色など、

全体的な構想を決める「模様師」を頂点に、

下職として「糊師」「染師」「蒸し」「湯のし」などがあり、

仕上げ過程では「箔・金彩師」「刺繍屋」さん等が有ります。

東京友禅は分業に頼らず、一つの工房で主だった工程を行う

工房完結型の傾向があると言われています。

これは東京が戦時中に空襲で壊滅的な打撃を受けたことで、

戦後すぐに分業体制が整わなかったことと、

都会の生活スピードの変化に対応したことが理由のようです。

それでも、広い土地が必要な「染め」の工程まで行える工房は

多くありません。

今日ではインクジェットの登場と職人さんの高齢化により、

どの産地でも分業制が崩れる傾向にあるため

手仕事の手描き友禅の存続が危ぶまれています。

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手仕事の友禅「型友禅」

型友禅は柿渋紙で作った型紙と

色糊を用いて染める友禅技法で、

明治初期の京都でに合成染料の登場により開発された

近代からの友禅です。

型紙は専用の小刀を使い、職人さんの手で彫られます。

精緻な手彫りの型紙はそれだけで作品となるくらい

目を見張るものがあります。

型紙を繰り返し使用出来るために、

量産向きの染織方法とされていますが、

一色につき一枚の型紙で染めるため、

高級な型染めは百枚以上の型紙を使用することもあります。

職人さんの手仕事による型染めは熟練技術と根気が求められます。

また、同じく型紙を使った染物として

「江戸小紋」や沖縄の「紅型染め」がありますが、

こちらは「型染め」ではありますが「型友禅」ではありません。

「江戸小紋」も「紅型染め」も職人さんの手仕事によるものは

かけがえのない伝統技法です。

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手仕事の友禅「手描き友禅」

手描き友禅は着物や帯の原寸大の図案を紙に描き、

それを基に白生地へ手描きする友禅です。

「手描き友禅」の大きな特徴は「糸目(いとめ)」です。

「糸目」とは柄の輪郭線として現れる白い線の事を言います。

「糸目糊」と呼ばれるモチ米や石油系の糊を用いて、

柿渋紙で作った円錐型の筒に入れ、

細い線としてしごき出しながら柄を描きます。

糊のついた部分は防染効果があるため、

染料が入らないので白生地の白が残るわけです。

糸目糊を均一な細さで自由自在に

美しく描けるようになるまでには熟練の技術が必要です。

尚、量産目的の理由から糸目糊を型で置き、

彩色だけ手で行う友禅もありますが、

これは手挿し友禅というべきもので、

本物の手描き友禅とは言えません。

彩色や染め、金彩仕上げなども全て手仕事による伝統技法で行われます。

全ての工程に熟練された技術と根気が求められます。

手描き友禅の詳しい工程は⇒ 伝統技法をご覧ください。

腰原きもの工房の手描き友禅にて制作いたしました着物・帯作品は

作品集 からご覧頂けます。